『ドラゴンクエスト11』 メーカー:スクウェアエニックス 機種:PS4 評価C

 

 幕の内弁当な『ドラクエ11

60時間をかけて『ドラクエ11』をクリアした。出勤前にタラタラとプレイしていた。平日は毎日プレイしたが、仕事終わりの勤怠を付けるのと似たような感じだったなぁ…

それにしても、2017年に発売されたとは思えないくらいに古臭かった。コマンド入力の戦闘にびびり、作業的なレベル上げは勘弁して欲しかったし…いったい何年前のRPGだろう。

 

ドラクエ』はファミコンから連綿と続く日本の国民的RPG。私も『10』以外は全てプレイ済みである。しかし没頭してプレイしたのは『5』くらいで、あとは惰性でプレイした感じ。なぜなら『ドラクエ』シリーズは幕の内弁当だからだ。どこで食べても安定した味。ファミレスと言っても良いかな。

 

ドラクエ』は変わり映えしない。基本的には一本道の王道ストーリーである。でも『5』が良かったのは、「劇的なストーリー」「モンスターが仲間になるシステム」などが個性的に見えたせいだ。特に劇的なストーリーが良かった。それ以外のシリーズは、「オーソドックスなストーリー」で、満足度が低い。システムも、モンスター仲間システムほどには個性的に映らなかった。

 

ハードがプレイステーション4になったことで、映像はそれなりにきれい。『ウィッチャー3』みたいな臨場感やリアル感はなかったが、ハードの良さは出していたと感じる。『ドラクエ11』は3DSでも出ていて、私もネットで3DS版の映像を見たことがあるが、きたないことこの上ない。日本で携帯ゲーム機の市場が大きいのは分かるけど、ブランドイメージが下がるのでは。こんなきたない映像で出すなら、3DSで発売する意味がない。

 

ドラクエ11』は淡々としたストーリーで盛り上がらない

ドラクエ11』は淡々としたストーリー展開で、特に盛り上がることなく終わる。邪神降臨はもう勘弁して欲しいと思ったが、『11』になっても『ドラクエ』は邪神降臨をやる。しかも、主人公は勇者で、見た目が田舎者のようにやぼったい。世界が荒廃するのは往年の『FF』シリーズの再来かと思った。

 

個々のシーンは、「イシの村が荒廃する」「幼馴染のエマや母との別れと再会がある」「父親を主要キャラのマルティナの父に殺されていた」「主要キャラのベロニカが死ぬ」など劇的なものはある。でも盛り上がらなかった。

 

その理由の一つは、主人公や他のキャラクターの葛藤がないからだろう。例えば、ベロニカが死んでも、妹のセーニャは涙するものの、滂沱の涙を流す訳ではない。号泣しないにしても、何か感情的な言葉を投げれば良いものの、妙に澄ましていて、優等生なのだ。これでは感動しない。

 

主人公に至っては相変わらず「しゃべらない」(回想シーン以外)ので、何を考えているのかサッパリ分からない始末だ。他のキャラクターが「行くぞ!」と言っている傍で頷く主人公。映像がリアルになっているだけに、主人公が無口な青年に見えてしまった。

 

せめて主人公の葛藤をテキストで説明するなり、他のキャラクターが代弁するなりしないと、彼が何を考えているかプレイヤーは分からない。母親との再会にしても、抱擁することもなく、母が言葉を投げかけるだけで終わるので感情をかきたてられることがないのだ。

 

ドラクエ11』は映像&BGMがどんくさい

キャラクターデザインが鳥山明からしょうがない(センスがない)のだろうが、キャラクターの見た目がやぼったい。特にマルティナは、攻撃力とスピードに秀でていて、胸が大きくてセクシーなキャラクターで良いはずなのだが、グラビアタレントやキャバクラ嬢みたいに男の視線を意識したファッションで辟易。わっかみたいなのを首にぶら下げていて、水着みたいにぴちぴちした服を着ている。そして腰まで伸ばしたロングヘアー。「この子本当にこんな服装したいの?」と何度も思ったくらいだ。

カミュは『ドラゴンボール』の超サイヤ人みたい。

オカマは存在価値が分からない。

ビジュアルではないけど、ロウは『ドラゴンボール』の亀仙人なんだろうな、設定が。

主要キャラでまあまあなのはベロニカかな…死んだけど。

 

モンスターもかわいすぎて、強い敵と戦っている迫力に欠ける。

 

天空を飛べる乗り物はクジラで、制作者のセンスを疑う。だって飛んでる時、腹が突き出ているんだもの…うちの穏やかな妻がクジラを見て、「腹を針で突き刺してやりたい」って言っていた。

 

BGMはすぎやまこういちのどんくさい音楽で、特に強敵が出てくる時の音楽がかっこわるい。

 

鳥山&すぎやまじゃないと『ドラクエ』にならないのだろうが、そうなると、このやぼったさから抜けられないままだ。

『きっと可愛い女の子だから』 作者:柳本光晴 評価B

 

 

 

 

私は恋愛マンガが好きで、少女マンガも好きで読んでしまうが、それは男女の恋愛心理を深く掘り下げているところに興味を惹かれるためだ。本作は短編集で、主に高校生の恋愛を扱っている。全5話。

高校生ならではの淡い恋心をわずかなページ数で描いていて、かつ、ストーリー展開もそれなりに面白い。女性があまり美人でないというのも良い。絵があまり上手ではなく、人物のビジュアルが画一的なのが残念である。あと女の子の胸がやたら大きい。

 

 

上手くいかない片思い

 

上手くいく恋もあるし片思いで終わる恋もある。特に初恋の場合は、相手に恋人がいるかどうかが分からないままに妄想を膨らませて撃沈する。「関口さん」「図書館LOVER」などがそれ。

 

特に「関口さん」は、なぜか下校中に出会う、イケメンの同級生・野々原を好きになる関口という女子が主人公。関口は美人じゃないし、目つきが悪くスタイルが良い訳でもなくコミュニケーション力がある訳でもない。勝手に彼を好きになり、自分の部屋に呼びこんで手錠を付けたら二人きりになれるとか、ちょっとダークな女子。ある時、後ろから誰かが付いてきたので、関口はスタンガンで抵抗しようとするが相手は野々原だった。野々原は関口を驚かそうとしたのだ。恐怖と安心感で泣く関口を、野々原は頭を撫でてやる。全く関心のない男にこれをやられるとセクハラだが、恋しい野々原にやられて、気持ちがいっそう高まった関口。

 

しかし片思いはあっけなく破れる。ひょんなことから、野々原に彼女がいたことを知ってしまうのだ。野々原も関口が自分を好きであることを知っていたので、気まずそうな表情をする。野々原が戯れで言ってみた「本を貸して」という言葉をずっと覚えていて、この時に本を貸す。泣きながら「感動モノだからね。涙止まんなくても知らないから…」と言う。彼女がいることを知って恋が破れて、哀しくて切ない自分をさらけだして泣く関口。切ないながらも可愛らしいラストだ。

 

 

不器用な「ギャル子さん」

 

 

高卒後働きたくないという不純な動機で勉強を始めたギャルの島田。一緒に勉強をしてくれる秀才のリョータのことが好きだし、リョータも島田の方が好きだが、奥手のリョータは思いを伝えられないでいる。そして二人とも一所懸命に勉強に励み、成績を上げていく。リョータは東大を目指している。

 

そして一年後、リョータは東大に、島田も東京の私立大に合格する。晴れて二人とも大学生になったが、リョータは島田に告白することができないでいた。「かわいい子ぶんのは女の仕事。告白するのは男の仕事だよ」という島田は、煮え切らないリョータを振って「これを教訓に大学で好きな子みつけたら次はちゃんと自分から告るよーに!」と言って彼の元を去って行く。

 

この振り方は島田の戦略で、リョータが追い掛けて来て、強い思いで島田にアプローチをしてくれることを喚起するための振りなのだった。案の定、リョータは島田を追い掛けて来て、しかも島田がクリスマスプレゼントにリョータにくれた指輪とお揃いの指輪を、プレゼントしてくれた上で付き合って欲しいと言う。

思わぬサプライズも、島田がリョータの行動力を育成したことの成果だろう。女の子って、大人だなあ…と思ってしまう話だった。

 

これらの他にも、「教師と生徒の正しい恋愛」や「保健室にて」なども割と面白い。リアリティを追求するマンガではないので、

『ドラゴンボール』 作者:鳥山明 評価B

 

ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)

ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)

 

 

ドラゴンボール』は西遊記に取材した冒険マンガで、途中からアクションマンガに変わっていく。それがかなり人気を博して、10年以上の長期連載となった。世界的にも人気で、マンガの累計発行部数は、2億5千万分に達しているという。小説で億単位の売り上げを誇ることはたやすくないが、マンガなら可能性はあるということだろう。

 

著者の鳥山明は『ドラゴンボール』の前に『Dr.スランプ』というギャグマンガを描いていて、これと本作とで、漫画家として不動の地位を築いた。といってもセールスや人気の点で不動の地位を築いたというだけで、私はどちらも高く評価している訳ではなく、『ドラゴンボール』も標準レベルだと思っている。標準というのはなかなか定義が難しい。『ドラゴンボール』はアクションシーンは素晴らしいが、物語の展開がまずいのとキャラクターの心理描写が掘り下げられていないことが大きなマイナスで、結果として標準レベルの作品だ、と言うほどの意味合いである。もし仮にアクションシーンがもうひとつであっても、物語の展開が良くて心理描写にすぐれているのであれば、A評価を与えることもあるが、それは、私がマンガを評価するに際して、あまりアクションシーンに重点を置いていないからである。

 

ドラゴンボール』を読んでいて好意的に感じるのは絵が非常にきれいで、スタイリッシュなところである。死や悲しみも描くが、あたかもドラゴンボールを集めると人が生き返るという、本作の設定のように、死に強い悲しみは付与されていない。手塚治虫とか大友克洋のような、暴力性は描かれない。それが不満といえば不満だが、読者に受け入れられやすい点でもあろう。フリーザクリリンを殺されてしまい、悟空が超サイヤ人に変身する場面は多少悲しいが、悲しみよりも超サイヤ人に悟空が変身してフリーザを倒すことの興奮の感情の方が大きい。

 

絵がきれいであることと共に、キャラクターデザインが極めて巧みである。鳥山は、現在でもテレビゲームソフト『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターをデザインしているが、個性的で印象に残りつつも、人に好き嫌いを感じさせない絵にしている。『ドラゴンボール』よりも長寿マンガの『ワンピース』は、絵が嫌で読まないという声を聞くが、私もそうで、あれだけ人気作品でありながら私は一度も『ワンピース』を読んだことがない。その理由は絵が受け付けないからである。その点、『ドラゴンボール』のキャラクターはスタリッシュで、男性キャラにもかわいらしささえ感じる絵にしてある。鳥山は『ドラゴンクエスト』以外にもゲームソフトのキャラクターをデザインしたことが何度かあるのだが、こういった好き嫌いのない、嫌味のない絵を描けるということは特筆すべきだろう。

 

私がこのマンガを読んでいて残念なのは、心理描写がほとんど描かれないところである。対象年齢が低いからそうなのかもしれないが、私の子どもが時折見ているディズニーだのプリキュアだのは、もう少し心理が描かれている。『ドラゴンボール』は敢えて描かないのか、心の動きについては非常に淡白である。例えば、孫悟空にしてもその子どもの孫悟飯にしても、いまひとつ挫折感を味わわない。ベジータは挫折するが、主人公の孫悟空とその子どもはどうか。確かに、わずか4歳でサイヤ人来襲に立ち向かわねばならない悟飯の立ち位置は辛いものがあるが、鳥山は悟飯の心理を描かないので、彼がどれだけ寂しく辛い思いをしているか分からないままだ。恋愛場面もほとんど描かれず、鳥山はそれを恥ずかしいからと言っているが、心理を描くことが苦手なのだろう。それではマンガとしていまひとつ面白味に欠ける。

 

物語の展開については、フリーザ編まではまだしもだが、それ以降の長い展開がとってつけたようで、退屈である。フリーザは宇宙一強い存在なのに、地球で造られた人造人間はそれを上回る強敵だったり、魔界の強敵が出てきたりと、フリーザより強いというには説得力に欠ける設定だった。マンガの物語としてきれいに終わらせるならフリーザ編で終わらせるべきだったが、『ドラゴンボール』は人気作だったので、そうはいかなかったのだろうか。人造人間以降の長い物語は私には全て蛇足と思えるが、作品の質のみならず、売り上げを考慮しなければならない出版社の事情が無駄に物語を長大にしてしまったのだろうか。

『ブッダ』 作者:手塚治虫 評価S

 

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

 

 『ブッダ』は少年向けの伝記マンガで、手塚治虫の創作した人物(チャプラやタッタなど)を盛り込んで、ブッダを中心とした群像劇になっている。手塚の平等主義に基づくヒューマンな物語である。

 

序盤はブッダ誕生以前の話で、チャプラとタッタが物語を盛り上げる。

チャプラは奴隷で、タッタはその下のバリアという階級の人間。バリアともなると階級以前の問題で人間以下の扱いを受けている。チャプラは石投げが得意で、おまけにイケメンである。だが、奴隷なのでどうしようもない。奴隷はどうあがいても奴隷なのである。しかしチャプラはワニに襲われた武士階級の将軍に近づき、身分を隠して、奴隷からの脱却を図るのだ。

 

将軍はすぐにチャプラが奴隷であることに気付くが、チャプラは命の恩人で将軍には子がいないので、チャプラを追放することができない。そのままズルズルとチャプラを手元に置き、大臣の娘との交際まで許可する。石投げしかできなかったチャプラは力を蓄えていき、剣術も学ぶ。しかし、生き別れの母の登場で、チャプラの運命は狂っていく。

最後に母を選んだチャプラは母と共に死刑にされ、将軍も処分を受けてしまう。チャプラの平等主義はタッタに引き継がれることとなる。

 

この凄絶なチャプラの物語の後に、青年になったタッタが現れる。タッタはシャカ族が率いる、弱小で、他国から攻められている国家に対する愛国心が強い。独立志向が高く、革命家のような面影がある。

 

幼少期のブッダは、シャカ族でカピラヴァストウという小国の王子だ。名前もシッダールタという。ブラフマンという人から、のちに、ブッダ(目覚めた人)と名乗るように言われてブッダと自称するようになる。

ブッダは高貴な女性と無理に結婚させられ、子までもうけるが、人生の目的、死、世の中の不平等などの問題を解決すべく、バラモン(宗教家)への道を進む。バラモンの一般的な修行形態は苦行なので、苦行をするが、苦行への疑問を持つ。のちに、自ら道を開拓し、弟子を多数もうけて、それが仏教となっていく。

 

手塚治虫は一流のストーリーテラーで、今の漫画家もぜひ見習って欲しいと思うのだが、ブッダの人生を描くというと、説教くさくなったり、小難しい宗教的・哲学的な物語になってしまうところを、そのテーマの根幹は活かしつつ、人間的で泥臭いキャラクターを多数揃えて、かつ、豊富なイベントを取り入れて、ブッダの伝記マンガを描いた。時にブッダが出てこない物語などが入り乱れるが、これが『ブッダ』が群像劇たるゆえんである。群像劇にすると、他者の視点から『ブッダ』という物語を見られるので、物語に厚みが出来るし、多面的になる。ブッダの伝記なのだからブッダだけを追うのではなく、チャプラ、タッタ、アナンダ、ダイバダッタなどの限りなく多くのエピソードを盛り込むことで、物語は活き活きとする。

 

ちなみに、私が好きなキャラクターは、アナンダ、ダイバダッタ、そしてブッダである。

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