『ドラゴンボール』 作者:鳥山明 評価B

 

ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)

ドラゴンボール (巻1) (ジャンプ・コミックス)

 

 

ドラゴンボール』は西遊記に取材した冒険マンガで、途中からアクションマンガに変わっていく。それがかなり人気を博して、10年以上の長期連載となった。世界的にも人気で、マンガの累計発行部数は、2億5千万分に達しているという。小説で億単位の売り上げを誇ることはたやすくないが、マンガなら可能性はあるということだろう。

 

著者の鳥山明は『ドラゴンボール』の前に『Dr.スランプ』というギャグマンガを描いていて、これと本作とで、漫画家として不動の地位を築いた。といってもセールスや人気の点で不動の地位を築いたというだけで、私はどちらも高く評価している訳ではなく、『ドラゴンボール』も標準レベルだと思っている。標準というのはなかなか定義が難しい。『ドラゴンボール』はアクションシーンは素晴らしいが、物語の展開がまずいのとキャラクターの心理描写が掘り下げられていないことが大きなマイナスで、結果として標準レベルの作品だ、と言うほどの意味合いである。もし仮にアクションシーンがもうひとつであっても、物語の展開が良くて心理描写にすぐれているのであれば、A評価を与えることもあるが、それは、私がマンガを評価するに際して、あまりアクションシーンに重点を置いていないからである。

 

ドラゴンボール』を読んでいて好意的に感じるのは絵が非常にきれいで、スタイリッシュなところである。死や悲しみも描くが、あたかもドラゴンボールを集めると人が生き返るという、本作の設定のように、死に強い悲しみは付与されていない。手塚治虫とか大友克洋のような、暴力性は描かれない。それが不満といえば不満だが、読者に受け入れられやすい点でもあろう。フリーザクリリンを殺されてしまい、悟空が超サイヤ人に変身する場面は多少悲しいが、悲しみよりも超サイヤ人に悟空が変身してフリーザを倒すことの興奮の感情の方が大きい。

 

絵がきれいであることと共に、キャラクターデザインが極めて巧みである。鳥山は、現在でもテレビゲームソフト『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターをデザインしているが、個性的で印象に残りつつも、人に好き嫌いを感じさせない絵にしている。『ドラゴンボール』よりも長寿マンガの『ワンピース』は、絵が嫌で読まないという声を聞くが、私もそうで、あれだけ人気作品でありながら私は一度も『ワンピース』を読んだことがない。その理由は絵が受け付けないからである。その点、『ドラゴンボール』のキャラクターはスタリッシュで、男性キャラにもかわいらしささえ感じる絵にしてある。鳥山は『ドラゴンクエスト』以外にもゲームソフトのキャラクターをデザインしたことが何度かあるのだが、こういった好き嫌いのない、嫌味のない絵を描けるということは特筆すべきだろう。

 

私がこのマンガを読んでいて残念なのは、心理描写がほとんど描かれないところである。対象年齢が低いからそうなのかもしれないが、私の子どもが時折見ているディズニーだのプリキュアだのは、もう少し心理が描かれている。『ドラゴンボール』は敢えて描かないのか、心の動きについては非常に淡白である。例えば、孫悟空にしてもその子どもの孫悟飯にしても、いまひとつ挫折感を味わわない。ベジータは挫折するが、主人公の孫悟空とその子どもはどうか。確かに、わずか4歳でサイヤ人来襲に立ち向かわねばならない悟飯の立ち位置は辛いものがあるが、鳥山は悟飯の心理を描かないので、彼がどれだけ寂しく辛い思いをしているか分からないままだ。恋愛場面もほとんど描かれず、鳥山はそれを恥ずかしいからと言っているが、心理を描くことが苦手なのだろう。それではマンガとしていまひとつ面白味に欠ける。

 

物語の展開については、フリーザ編まではまだしもだが、それ以降の長い展開がとってつけたようで、退屈である。フリーザは宇宙一強い存在なのに、地球で造られた人造人間はそれを上回る強敵だったり、魔界の強敵が出てきたりと、フリーザより強いというには説得力に欠ける設定だった。マンガの物語としてきれいに終わらせるならフリーザ編で終わらせるべきだったが、『ドラゴンボール』は人気作だったので、そうはいかなかったのだろうか。人造人間以降の長い物語は私には全て蛇足と思えるが、作品の質のみならず、売り上げを考慮しなければならない出版社の事情が無駄に物語を長大にしてしまったのだろうか。

『ブッダ』 作者:手塚治虫 評価S

 

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫)

 

 『ブッダ』は少年向けの伝記マンガで、手塚治虫の創作した人物(チャプラやタッタなど)を盛り込んで、ブッダを中心とした群像劇になっている。手塚の平等主義に基づくヒューマンな物語である。

 

序盤はブッダ誕生以前の話で、チャプラとタッタが物語を盛り上げる。

チャプラは奴隷で、タッタはその下のバリアという階級の人間。バリアともなると階級以前の問題で人間以下の扱いを受けている。チャプラは石投げが得意で、おまけにイケメンである。だが、奴隷なのでどうしようもない。奴隷はどうあがいても奴隷なのである。しかしチャプラはワニに襲われた武士階級の将軍に近づき、身分を隠して、奴隷からの脱却を図るのだ。

 

将軍はすぐにチャプラが奴隷であることに気付くが、チャプラは命の恩人で将軍には子がいないので、チャプラを追放することができない。そのままズルズルとチャプラを手元に置き、大臣の娘との交際まで許可する。石投げしかできなかったチャプラは力を蓄えていき、剣術も学ぶ。しかし、生き別れの母の登場で、チャプラの運命は狂っていく。

最後に母を選んだチャプラは母と共に死刑にされ、将軍も処分を受けてしまう。チャプラの平等主義はタッタに引き継がれることとなる。

 

この凄絶なチャプラの物語の後に、青年になったタッタが現れる。タッタはシャカ族が率いる、弱小で、他国から攻められている国家に対する愛国心が強い。独立志向が高く、革命家のような面影がある。

 

幼少期のブッダは、シャカ族でカピラヴァストウという小国の王子だ。名前もシッダールタという。ブラフマンという人から、のちに、ブッダ(目覚めた人)と名乗るように言われてブッダと自称するようになる。

ブッダは高貴な女性と無理に結婚させられ、子までもうけるが、人生の目的、死、世の中の不平等などの問題を解決すべく、バラモン(宗教家)への道を進む。バラモンの一般的な修行形態は苦行なので、苦行をするが、苦行への疑問を持つ。のちに、自ら道を開拓し、弟子を多数もうけて、それが仏教となっていく。

 

手塚治虫は一流のストーリーテラーで、今の漫画家もぜひ見習って欲しいと思うのだが、ブッダの人生を描くというと、説教くさくなったり、小難しい宗教的・哲学的な物語になってしまうところを、そのテーマの根幹は活かしつつ、人間的で泥臭いキャラクターを多数揃えて、かつ、豊富なイベントを取り入れて、ブッダの伝記マンガを描いた。時にブッダが出てこない物語などが入り乱れるが、これが『ブッダ』が群像劇たるゆえんである。群像劇にすると、他者の視点から『ブッダ』という物語を見られるので、物語に厚みが出来るし、多面的になる。ブッダの伝記なのだからブッダだけを追うのではなく、チャプラ、タッタ、アナンダ、ダイバダッタなどの限りなく多くのエピソードを盛り込むことで、物語は活き活きとする。

 

ちなみに、私が好きなキャラクターは、アナンダ、ダイバダッタ、そしてブッダである。

マンガレビューを書きます


「好きなマンガ」の作者ヤマザキエリオです。

 

このブログではマンガレビューを書きます。

 

メインは「好きなもの、嫌いなもの」というブログであり、そちらに注力しているので、このブログの更新頻度は低く、月に2~3回程度です。「好きなものと、嫌いなもの」では、本と映画のレビューをしています。

 

rollikgvice.hatenablog.com

 

評価は5段階。Sが最高で、A、B、C、Dと続きます。Bが標準、Dが最低評価です。